「心」を知る

悲しみの深さは、愛の深さ

こんにちは

今日は令和3年3月3日 ぞろ目のひな祭りです。

先日もご紹介したのですが、
姪っ子が飾ってきてくれと持ってきた雛人形と過ごしています。

さて、
3月11日が近づいているせいか、震災で家族を亡くした方のその後が報道されることが増えています。

あまりに悲しみが深く、立ち直れない様子に、周囲は「もう忘れるな」「もう泣くな」「元気を出して」という言葉をかける。

でもそうは言われても、できない。

そしてそのうち、そんな励ましの言葉をもらいながら、その方たちの思いやりには感謝しつつも、重荷になる。
立ち直れない自分が不甲斐ないという思い。
申し訳ないという罪悪感。
そして、励ましてくれる人には、会いたくなくなる。
更に孤独になる。

そんなループの中で苦しんでこられた方も多いのではないかと思います。

人やペットを亡くした時だけでなく、離婚、パートナーとの別れ、友人と縁が切れた、大切な物をなくした、仕事を失った、キャリアの挫折、身体の健康等

私たちは実は大なり小なり、たくさんの喪失を抱えて生きています。

その悲しみは、大切なものほど深い。

どうでもいいものなら、悲しくもないし。

昨日付の中日新聞でも、震災で妻を亡くしたお父様のことに触れた記事を読みました。

これほどまでに苦しみ、悲しむことができる。その悲嘆の深さは、母への愛の深さでもあったのだ。

「3.11から10年 命を奪われいま想う(上)」(佐藤慧さん)

あらゆる「喪失感」は、その悲しみから立ち直れない自分をも受け止め、受け入れ、認めてあげることがスタートのように感じます

別に元気にならなくても、明るくならなくても、前向きにもならなくても、がんばろうとしなくてもいい。

周囲は、励ますでもなく、ただただ寄り添い、そしてそのうち気が付けば少し絶望の底から抜け出ている、そんな日がくることを祈ってあげること。

それがグリーフケアのように思います。

私は昨年、たくさんのものを失いました。
最後は、父を亡くしました。

今の私にとってのグリーフケアは、毎日のお供えと読経。
その他は、父がやっていたことをやったり。


今日は、水道管のつなぎ目を補修しました。
母が口ぶりで、こんなテープを使い、こんなことをしてほしいというのですが、さっぱりわかりません。

結局ネットで検索して無事出来上がりました。


「パパは実はちゃんと家のこと、やってくれていたんだね」
と改めて父に感謝と、父の存在が大きかったことを感じています。

他にも電球の交換、不燃物のゴミ出し等。
父がいろんなことをやっていてくれたんだなぁと偲びながら。

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