「すいません」=「ありがとう」の日本語
これは私のライフワークともいえる、「受け取り」を追求している中で気づいたことを。
「受け取り」を表す具体的な感情や言葉としては、「ありがとう」「感謝(を伝えること)」だとよく言われます。
人からプレゼントもらったり、何かしてもらったりしたときに、口をついて出てくる言葉ですよね。
でも、日本語ではなぜか「すいませーん」と言ってしまうことってありますよね?
例えば、道で物を落として拾ってもらったとき、とっさに「ありがとうございます」よりも、「すいません」の方が先に口をつく人の方が圧倒的に多いと思うのです。
拾っていただくというお手数をおかけして、申し訳ありません、ごめんなさい。という罪悪感とともに、御礼と感謝が混在する「すいません」なんですよね。
時代劇で出てくる「かたじけない」もニュアンス的には近いのかもしれません。
このように、言葉にも、すでに、謝罪と感謝が混在している日本語文化圏ということもあった上で、なのですが、
「受け取り」と「罪悪感」がくっついている、ということがあるなぁと思うのです。
「受け取り」と「罪悪感」
例えば、私の例ですと、離婚して実家に出戻ったわけですが、
両親には、すべてを失った私を迎えてくれたことに感謝しています。
ありがたいなと。
でも同時に、ですよ。
同時に、
申し訳ない。
が、湧きあがるんですね。
私が学んだカウンセリングのスクールでは、
感情って同時に複数は感じられず、一つしか感じられない、と習いました。
例えば、楽しいと悲しいは同時に感じられない、と。
でも私は、感謝と罪悪感を同時に感じます。
時間差があるようには思えないんですよねぇ。
それはなぜか?を考えたら、
潜在意識的には、感謝と罪悪感がくっついているので、同時に感じるのだと思います。
ということは、
スクールで学んだように、
もし、本当に感じられる感情が1つだけだとすると、
この感謝と罪悪感がくっついている感情は、「×××」という別物の感情で、違う名前を付けた方がいいぐらいの、感情かもしれません。
違いを呼び覚ます
でも、そんなポジとネガが混在した複雑な感情は、
気分がいいかというとそうでもない。
だったら、ポジにひっついているネガ感情を切り離した方がよさそう。
なので、
「感謝」と「罪悪感」の違い。
「受け取り」と「罪悪感」の違い。
を潜在意識に教える方がよさそうだし。(ダウンロードと言います)
まぁ罪悪感って完全にはゼロにはならないのが人間なのですが、弱めていけたほうがラクです。