癒しが進んだら、感謝できる?
その昔、
私がこの癒しの世界に足を踏み入れてから、
「自分の癒しが進んだら、親に産んでくれてありがとう、って感謝できるようになった」
という人にいっぱい出会いました。
なので私もいずれ癒しが進んだら、そんなこと思うようになるのかな?と期待していました。
ところが。
あれから十数年たちましたが。
いまだ
ゼロ
です(爆)
心理カウンセラーという立場を忘れて言いますが、一度もありません(爆)
問題のある家族ではありませんでしたが
うちの親は何かすごく大きな問題行動があったわけでもありませんが、それでも親子間ではいろいろありました。
それにそもそも、私は小さいときから「生きづらさ」を感じていて、ずっと早くこの世から消えたいと思っていました。
生きるってどうしてこうも大変なんだろうと。
あらゆる癒しをいろいろやりましたし、そしてヒーラー&カウンセラーという仕事をしてもなお、「産んでくれてありがとう」は思ったことありません。
そう思えることが癒しが進んだというバロメータがわりに使われることが多いと思うのですが、それはやめたほうがいいと思うのです。
世の中、親ガチャという言葉があるように、「どう考えてもあんな親に感謝なんてできないよ」という方もすごく多いと思いますし、
無理なもんは無理だと思うのです。
親は勝手にあなたを産んでいる
ところで。
じゃあ親はどうかというと。
そもそも勝手に産んでいるので産んだことを感謝してほしいなんて思ってもいないようです。
でも、なんで産んだんだ!と言われるのはつらいようです。(過去に2~3回私は言いましたが、親としてそんな辛いことはないと逆襲されました)
なのでやっぱり、産んでくれてありがとうと思えるようになることを目的に、癒しを勧めるのは、おかしな話なわけです。
本当に大切なことは?
「産んでくれてありがとう」と思えることは、製造者としての「親」への感謝というレトリックを用いつつ、
「自分という存在にOKを出している」
ことなのではないかと思うのです。
自己受容・自己承認の表現方法の具体例にしかすぎないと思います。
なので、大事なのは、親に対し、製造責任を感謝することではなく、
自分が自分にOKを出せること
だと思うのです。
カウンセリングやヒーリングではよく、親との関係を扱い、親を許せ!なんて言われる場合もあります。
(私は、許せとは一切言わないカウンセラーですが)
癒しの目的は、親を許したり、感謝することではなく、自分が楽であること。【本当の自分】を見つけて受け入れられていること、
だとって思いますよ。
親に産んでくれたことを感謝するかどうかはそう思うことがあるかも?ぐらいでいいんじゃないでしょうか?
親ガチャに外れたら、感謝も許しもくそもなかったりするわけですから、そうしなきゃ!で頑張ることも、癒しの目的にする必要もないと思います。