先日、たくさんのお客さまとお話しさせていただく中で、
「答えなし」も現段階での「答え」である、
ということを改めてご一緒に感じさせていただきました。
「絶対に自分の力で答えを見つけよう」とするのは、
「自分には答えを見つけられるチカラがある」って思っているってことなんだと思います。
それは確かにそのとおり。
自分のこと、に関しては、自分の中にしか答えはありませんから。
ただ、
答えが見つからない自分を許されない(許せない)と思い、(→ここで既に罰しているわけですが)
探し続けるのは、
私個人の勝手な見方なのですが、
「権威=神」との葛藤じゃないかとおもったりします。
答えを出せない自分は許されない!神さまなら出せるので、神さまに負けないぞ!
というわけです。
(この場合、「神」というのは特定の宗教で指すものや、八百万神(やおよろずのかみ)ではなく、この宇宙を作ったぐらいの大いなる存在ぐらいのイメージですね)
こういう絶対的な存在を「権威」といい、「権威への挑戦・権威の位置づけや関係性に悩む」ことを「権威との葛藤」と呼んだりします。
通常は、父親、母親、が原型になってるんですが、
今日の例では、もはや父親・母親というレベルではなく、ホントの神さまが相手だと思うんです。
「権威との葛藤」が大きい人というのは、神の存在に挑戦するぐらいなわけですから、才能が豊かにある人なんだと思いますよ。
それを自分でもわかっているから、果敢に挑戦するんです。
でも、この葛藤を手放していったほうが、結果的には多くの恩恵がやってきて、才能も花開いていくように思います。
あれだけ嫌っていた「神さま」を味方につける。
あれだけ自分に試練と困難を与えた「神さま」の力を、逆のベクトルに使っていただくってことです。
「答えなし」という「答え」を受け入れること。
権威との葛藤をやめること。
そしたら「答え」がやってくると思うんですね。
自分の中から湧いてきたり、インスピレーションとして降りてきたり。
そして。
自分が思ってもみなかった展開が待っていたり。